1月25日 八甲田

仙台での生活が忙しいわけではないけれど、今朝起きたときは身体がコチコチと固まって、今日のスキーは中止にして、青森市内でラーメンでも食べに行こうと思ったくらい疲れていました。

だけれども八甲田用に買った新しいスキーの板を持ってきたことだし、気力を軽く絞って集合場所へ。

みなさんボクの板が華奢に見えるくらい太い板を抱えています。雪の状態は最高(いつも良いけど)。だけどボクの知っている限り八甲田で二番目にすべり応えがあるパウダーの斜面で埋まってしまい、ガイドさんに助けてもらいました。いつも言ってるけど、一人だったら遭難してたな。テレマーク・スキーの技術がぜんぜん追いついていないのです。午後も気持ちよいパウダー・スノー(フレッシュ・スノーね)を満喫し、迎えのバスに乗るころには疲れも吹っ飛んでいました。

帰ったら地元のスキー場のナイター営業で練習です。

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アトミック・ドリフター・182cm

(セミ)ロッカー付き、(セミ)ファット・スキーの『アトミック・ドリフター』を買いました。センター幅は95mmです。この類のスキーの中では比較的安価で貧乏人のワタシでもなんとか手が出せましたが、それでも今日(1月3日)まで踏ん切りがつきませんでした。実はもう国内在庫はないと思いつつ、今シーズンの購入を諦めるためにショップに行ったようなものなのですが、幸運にも?取り寄せてくれるとのことで、即(でもないけど)決断。長さが182cmで、取り回しに不安も感じますが、ワタシの体重ではそのくらいないと雪の中に沈んでしまうそうです。

11~12月の間は、全くというほど運動をしてなかったので、これから2週間はくらいは、泉ヶ岳スプリングバレー・スキー場のナイター営業に通い、少しずつ体を慣らしていこうと思います。

今年も目指すは八甲田。怪我には気を付けよう、っと。

GWは、もちろん鳥海山、っね。

で、合間にはリバー・カヤックの練習、って、金がない。

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まだまだカヤックシーズンですが、、

艇庫の期限を1ヶ月以上残して、自宅にカヤックを持ち帰りました。

奥多摩は、川の水がきれいでダウンリバーも瀬遊びもできるし、質の高い講習も受けられる、カヤッカーにとって素晴らしいフィールドです。

高速代が無料で済む12月までは練習を続けたかったのですが、自宅の用事で艇庫の期限間近にクルマでカヤックを回収に行くことが難しくなるかもしれないことと、カヤックとは全然関係ないことなのですが、ほんの些細なことで気持ちが一時的にデプレッション気味になり、とりあえずって な感じでカヤック用具一式をクルマに積み込みました。

自宅にカヤックがあるものの、これから仙台は寒くなるし、これからどうすればよいのやら。気持ちが上向いたらまた出かけよう。

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区役所前の渋滞

被災証明関連だと思うのですが、今日も区役所の駐車場にクルマが並んでいます。少しはマシになったといえ45号線は渋滞して、帰宅するのにも日中は迂回しなければなりません。でも、証明書発行の窓口はガラガラです。区内はJRやバスが網羅しており、頻度も高く、区役所に行くのに交通の便が悪いとは言えないでしょう。宮千代や萩野町からは仙台駅方面に行くバスが殆んどなので、意外と区役所に行きにくいかもしれません。

クルマで移動したいという人には余計なお世話なのでしょうけど、鉄道やバスの利便性を見直しても良いと思います。数年後には地下鉄東西線が開通すると思いますが、沿線の住民は積極的に利用しましょう。ホントは市電を復活して欲しいのですけど。

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「マリアとマルタ」の話 (ルカにより福音書10章)

長い引用ですけど、易しい文章なので読んでください。
 

大澤 ・・・・ある村で、イエスたち一行がマリアとマルタという姉妹の家に招かれた。で、イエスが来たというので、姉のマルタは一生懸命、接待の準備をしていた。ところが、妹のマリアのほうはイエスの話をただ聞いているだけ。マルタはだんだん腹が立ってきて、イエスに「マリアは私をぜんぜん手伝おうとしない」「一言、マリアに言ってやってください」と告げ口した。

 そうしたらイエスは、マルタに「お前はどうでもいいことばっかり気にしている」「大事なことは一つだけだ、マリアはいいほうをとったのだ」などと言うわけです。あたかもマルタはよくないほうをとって、マリアはいいほうをとったかのように。

 一般的な解釈だと、マルタとマリアの姉妹は、日常のプラクティカルな生活を宗教的な観想的な生活とをそれぞれ寓話的に表現していて、イエスの話に集中していたマリアが後者で、マルタのほうは日常の瑣末なことに気をとられていた、とされています。でも、状況をすなおに見れば、こんな面倒な解釈をする必要はない。ここでイエスが言っていることは、はっきり言って間違っているとぼくは思います。

・・・マリアはたぶんかわいい子なんですよ。で、マルタがかわいいマリアをちょっといじめるようなことを言うから、イエスは「いいんだよ、この子はこれで」と言っただけ(笑)。どうですか?

橋爪 マルタは炊事場で準備したり、水を汲んできたり、掃除していていることを喜びとしてやっていればよかった。そうじゃなくて、内心、マリアのほうがいいと思っていたんだよ。しかもそれをマリアに対する怒りとしてぶつけたんだ。もしも、イエスを本当に歓迎しているんだったら、マリアの役割とマルタの役割が両方必要だと理解できるから、自分の役割に満足したし、そういうマリアに対する嫉妬の感情が出てくるはずもない。だから怒られた。

大澤 うーん、そうなのかもしれませんが、中世の大神学者マイスター・エックハルトが、この部分についてかなり立ち入った考察をしていて、それを読むと、彼もぼくと同じ違和感をもっていたことがわかります。もっとも、その後の対応が、ぼくとエックハルトは正反対なんですが。ぼくは単純に、イエスは人間的な誤りをしてしまったと理解した。イエスが間違えることなど思いもしないエックハルトは、ほとんど何をいっているのかわからないような、強引な解釈をしています。ほんとうはマルタがよいほうをとったのだ、とかなんとか。

・・・・(中略)・・・・

橋爪 つまりね、人間には神に愛される人と愛されない人がいる。いていいの。それは受け入れなければならない。

 だって、そんなことを言えば、健康の人とか、天才とそうじゃない人とか、人間はみんな違いがあるでしょ。・・・・

そして、人間は必ず、自分より愛されている人を誰か発見するし、自分より愛されていない誰かを発見する。これをいちいち、嫉妬の感情とか、神に対する怒りとして表明していたら、一神教は成立しないんですよ。・・・・

橋爪大三郎×大澤真幸『ふしぎなキリスト教』講談社現代新書

 

ボクから言わせると

マルタみたいな人もマリアみたいな人もイエスみたいな人も、この世の中にたくさんいます。橋爪氏の言うことは、テキストの状況から少しずれている気がします。マリアは、どちらかというと利己的で、マルタは、あえて言えばヒステリー的です。イエスは、(宗教的ではなく)宗教家的です。他人の感情に過剰に対応しないのです。イエスは、・・の「は」はインターセンテンス(本来はインターパーソナル?)。一人失笑。暑いし、スゲー暇です。

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